イジメを犯罪にしてはいけない理由 ‐学校の無法状態を維持せよ‐

イジメは無くなりません

昔から無くなる気配のないイジメ。
「1980年代以降、学校で問題化してきた」と書かれていました。
しかし、そのずっと前からイジメはあるし、未来永劫残り続けるのでしょう。
数千年前のイジメられっコは石のオノを隠され、数百年後のイジメられっコは空飛ぶ車の中で無視されるのでしょう。

学校などのイジメ問題はよく目にしますが、会社でのイジメ・大人になってからのイジメも多くあります。
そう考えると「人が人をイジメる」というのは、元々人間に組み込まれた“本能”なのかも知れません。
時代によって手法は変わるし、件数の多少の増減はありますが、本質的にはイジメは何もかわらないものです。
弱い立場の人を肉体的・精神的に傷つける。排除しようとする。
程度の差はあれど、「一定の人数以上が所属する組織になれば必ず行われる」と考えておくべきでしょう。

「イジメという言葉を無くせ」という頭の悪い主張

正義感が過剰な現代社会で、言われ始めたことがあります。
それは「イジメは犯罪だ」「学校にも法律を適用させるべきだ」ということ。

つまり“イジメなんて曖昧な定義ではなく、法的措置をとるべきだ”という主張です。
しかし、本当に学校内の大小あるイジメに対して法律を適用させるべきでしょうか?
イジメという言葉を無くして、全て「犯罪」にしてしまうべきでしょうか?

「犯罪にする」「刑事事件にする」ということは“法に触れなければ何をされても文句を言えない”と同義です。

例えば、「悪口を言われたら侮辱罪・名誉毀損罪だ」なんて言ってる人もいます。
しかし前提の条件として「公然」が必要になるので、個別で言われた場合、罪には問えません。
怪我をしない程度に暴力を振るわれた場合も、録音などの証拠が無いと罪に問うのは難しいでしょう。
イジメの中で最も過酷といわれる「無視」ももちろん同じです。
「クラス全員から存在すら無いことにされる」という地獄のようなイジメも罪には問えないのです。
(無視罪みたいなものが新設されれば話は別ですが…)

これらは、法に触れることはないので「悪いことである」と認識させることすら不可能になります。
「法に触れていないので問題ないですよね?」で、反論する余地が無くなってしまうのです。
学校に法律を持ち込めば、「罪に問えないような悪いコト」は見逃すしかなくなってくるのです。

イジメる側もスマホを持ち、SNSを使いこなし、グーグルでいつでも検索することができます。
少し調べて考えれば「イジメが問題にならない方法」なんていくらでも思いつきます。
時代と共にイジメる側も賢くなっているのです。

未来までイジメを残そう

イジメの曖昧さ・解釈の広さを残し、法律とは関係なく“良くないこと”であると教える。
法律や罰則に関係なく「善悪」を考え、個人(生徒)に蓄積させていく。

“法に触れるから悪いのではなく、他人を傷つけるから悪い”ということを繰り返し伝える。
これらが、学校という特殊な環境では必要なのでしょう。

「刑法○○条で~」ではなく「○○さんが嫌がるから~」
「イジメた側は犯罪者だ」ではなく「なぜイジメは良くないのか」を突き詰めていく。

もちろん、殺したり、重傷を負わされた場合は犯罪にするべきだと思います。
しかし、暴言を吐かれた、嫌がらせをされた、上靴を隠された(今もあるのでしょうか?)…
これらをイジメではなく犯罪にしてしまうと、“悪いこと”ではなく“法的に問題がないこと”が軸になってしまう。
「イジメ」という曖昧な言葉は、未来のために残していかなければならない。
イジメを「侮辱罪」「傷害罪」「窃盗罪」に置き換えてはいけないのです。

禾歳タタ

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