炎上進化論‐自殺するまで炎上が収まらない理由‐

寛容なんてクソ喰らえ

東京オリンピック・パラリンピックの開会式担当の小山田氏。
40年以上も前のイジメ・表に出てからも20年以上経過したイジメが炎上しています。
謝罪し、オリンピック・パラリンピックの担当を辞任しても炎上は収まる気配がありません。
今回は、炎上の“謝っても許されない”“どんどん炎上が加速する”“自殺まで追い込む可能性もある”という現象を考えます。

そもそも、炎上というのは皆が“おおよそ同じ方向”を向いていないと起きません。
今回の例でいえば『小山田許せない!』という方向でしょうか。
反対意見でも言おうものなら「擁護派」のレッテルを貼られ、批判の対象になります。

つまり、炎上参加者は同じ方向の意見だけを拾い集め、反対の意見を遮断するのです。
『小山田許せない』だけを拾い集め、『そんな昔の話、何を今さら』は遮断するのです。

進化は変化で、変化が進化

炎上の本質は“同じような意見や感想”が繰り返され、反復され、積み重ねられることです。
単純な「同じ」ではなく「同じような」となっているところが重要です。

炎上のメイン会場であるツイッターで例えると、RTではなく引用RTで、少し自分の意見を付け加える。
「同意!」だけではなく「同意!やっぱり○○だよね」と自分なりの言葉に変えてみる。
「今さら謝罪しても遅い!」という意見に対して「そうそう!今さら謝罪しても社会が許さない!」と重ねる。

他人の意見や感想に、自分の色を少しだけ付け加えることで、承認欲求が満たされます。
炎上の対象になっている“悪”を滅ぼすのに貢献したという満足感も得られます。
全く同じ意見だと「ただの1票」になるところを、小さな変化を加えることで「自分の意見」にできるのです。
逆に言えば「全く同じ意見」や「同じ言葉の感想」は、“価値が無い”と判断される社会なのです。

過激な言い方を推し進めている訳でもないし、意見している人達は自殺させようと思っている訳でもない。
自分が見た他人の意見、自分のタイムラインに流れてきた誰かの感想を、自分なりに少し変化させる。
この変化の積み重ねが、最終的には全く無関係の「家族」をも攻撃の対象にし、過激な誹謗中傷にまで発展させる根源です。
「小さな変化」の積み重ねこそが、炎上を進化させているのです。

炎上進化論

基本的には炎上は“複雑”にかつ、“過激”になるルートを辿ります。
斬新な切り口の批判の方が目に留まり、過激な意見の方が印象に残る。

そのため、自分の意見を付け加えるための「元の意見」は、高確率で既に“過激な意見”になっています。
そしてその「過激な方向」に傾いた他人の意見を、自分の言葉で更に「過激な方向」に進めるのです。

もちろん過激さを弱める変化も起こす人もいます。
しかし「過激さを弱めた意見」と「さらに過激さを強化した意見」では、印象に残る量に大きな差ができます。
すると、過激さを“弱めた意見”よりも過激さを“強化した意見”を「自分の意見の土台」とする人が格段に多くなります。
このループこそが、最終的には自殺にまで追い込みかねない誹謗中傷を生み出す原理なのです。

仮にニュースのコメント欄やツイッター、YouTubeを伏せた状態で、事実だけを聞かされたとします。
すると、「悲しくなった」や「残酷だ」という意見は当然あると思います。
しかし「息子を特定するぞ」「二度と表舞台に立てない様にしてやる」という発言はきっとしないはずです。
これこそが「炎上の進化」の効果なのです。

時間の経過とともに“去る良識人”と“残るその他大勢の人々”

さらに“炎上の進化”を加速させる炎上の性質があります。
それは先ほども書いた、「反対意見を擁護派として批判する」という特性です。

「そこまで言わなくても」や「やりすぎ」という意見は“擁護派”として認識され、批判の対象になります。
つまり、ブレーキ役となるべき「良識のある人」は制止を促す発言はせずに、“炎上”からドロップアウトします。
そして炎上の現場に残るのは、思考できる人・良識のある人を除いた「その他大勢の人々」なのです。

ラストワン賞は“法的措置”

「炎上コメント数」と「時間(期間)」に比例して過激になっていく炎上。
すると、ここ最近の炎上で話題になることも多い“誹謗中傷に対して法的措置”がとられることもあります。

これも炎上特有の性質なのですが、本人は本当に自覚がないのです。
なぜなら、本人は目に留まった意見や感想に少し自分の意見を付け加えただけなのですから。

もちろん誹謗中傷している本人の自己責任なのですが、“運”の要素としか言いようがありません。
仮に訴えられた場合は、一番くじのラストワン賞にでも当たった気持ちで甘んじて受け入れるべきでしょう。

炎上は軽い批判や指摘から過激な意見に進化し、誹謗中傷となっていきます。
つまり「ニュースを読んで悲しくなった」は「生きる価値も無いな」のご先祖様で、
「辞任した方が良いのでは?」は「二度と表舞台に出てくるな」の大先輩にあたるのです。
だからこそ「どこの段階で訴えられるか」は予測ができません。

炎上が止むとき

そんな炎上ですが、鎮火することはあるのでしょうか?

可能性があるとすれば2種類の鎮火ルートがあります。
それは 別の新たな炎上が始まる or 炎上の対象が死んだ時 です。

しかし“新たな炎上”では100%の鎮火とは言えないのが現実でしょう。
炎上の現場には少なからず人は残り続けるし、再炎上も考えられます。
つまり、完全な炎上の終わりは“炎上の対象が死んだ時”しかないのです。

余談ですが、イジメという言葉をなくし、こういった事例は暴行や侮辱など「刑法で裁くべき派」の意見もよく見ます。
ちなみに今回の小山田氏の件を刑法で裁く場合、時効で無罪になります。

禾歳タタ

1件のコメント

  1. この記事の内容には同意します。

    >余談ですが、イジメという言葉をなくし、こういった事例は暴行や侮辱など「刑法で裁くべき派」の意見もよく見ます。
    ちなみに今回の小山田氏の件を刑法で裁く場合、時効で無罪になります。

    他人を「捕まえろ」などというならば、これくらいのことは調べる必要がありますよね。

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