老害が増え続ける理由

ジジイの見える化

最近、よく目にする言葉の1つに「老害」という言葉があります。
SNSやYouTubeで見ない日はないぐらい「老害」が日本で猛威をふるっています。
ここで考えなくてはいけないのが「本当に老害は増えたのか?」ということ。

事実、人口比率的に若者が減り、ジジイババア世代が増えています。
しかし、その増加率を上回る勢いで「老害」という言葉が増えているのです。
それと同時に「最近の若者は~」「これだからガキは~」という言葉が減りました。

この原因は一体何なのでしょうか?
急にジジイババア世代のマナーが悪くなったとは考えにくい。
気難しいオッサン、口うるさいババア、常識の無いジジイなんて昔から世の中には溢れています。
しかし、昔は関西に住んでいる人には、関東の常識の無いジジイが目に入ることはありませんでした。
また、関東に住んでいる人は、北海道の口うるさいババアと触れ合う機会はありませんでした。

つまり老害の増加の原因は、ネットの普及による“可視化”ではないでしょうか?
ジジイやババアの質が低下したというよりは、元から存在していた「老害」が目に入るようになっただけなのです。

愚行の原因は属性にあり

ここで新しい疑問が湧いてきます。
可視化されるようになった、煽り運転やコンビニで怒鳴っている人、電車内でのマナーの欠如や、店員に対する横柄な態度…
なぜ彼らは「ヤバいジジイ」「頭のおかしなババア」ではなく“老害”という言葉で片付けられるのか?
言い換えれば、なぜその人個人ではなく「年齢」が愚行の原因にされるのでしょうか?

これは、「年齢」や「性別」、「国籍」など、“属性”で相手を大きな一括りにして非難する。
つまり、愚行の原因を「個人」ではなく「属性」に求めているということです。

このような「属性」で括っての非難は、
“満たされていない側から満たされている側へ”
“幸せを感じていない側から幸せを感じている側へ”
“閉塞感を感じている側から自由を感じている側へ”
向くようにできています。

つまり最近は、ジジイより若者、ババアよりヤングマンが『満たされていない』社会なのです。
失うモノもそれほどなく、人生の残された時間も多く、身体的にも優位なはずの若者。
その若者の方がジジイババアより満たされていない社会。
それが日本の社会なのです。

人生の満足度が『若者 < 老人』という構図。
これこそが「個人」ではなく「老害」と括って非難することに繋がっているのです。
つまり老害が増える理由とは「可視化」「世代間による幸福の格差」の2つにまとめることができます。

「最近の若者は~」「これだからガキは~」と言われる社会を目指そう

エジプトの遺跡にも「最近の若者は~」と書かれている、という都市伝説を聞いたこともあります。
これは盛っている話だと思いますが…

“老人が若者の自由さをを羨ましがる”
“老人が若者の残された時間の多さに嫉妬する”
“老人が若者の健康な身体を妬む”

というのが健全な社会の姿だと思います。

若者という“属性”で一括りにされ、老人から非難される社会を目指さなければいけません。
「最近の若者は~」「これだからガキは~」と言われる社会を目指さなければいけません。

禾歳タタ

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